筆者は徳島県の実家で引きこもりニートをしているのだが、親に『ずっと部屋に引きこもって暇じゃないんか?』とよく言われることがある。自分では全然暇だと思ったことはない。ここに親と自分とに考えの乖離があることがわかった。何故こんなことが起きたのだろうか
まず親が、何故部屋に引きこもっていると暇だと考えたのだろうか。親が『ずっと部屋に引きこもって暇じゃないんか?』と言うのはどこか外に出て活動してこいという意味を含んでいるのはいうまでもないが、親が引きこもっている状態がどんなものだと考えているか、どんな時に暇だと感じるかに分けて考えたい。
引きこもっているつまりは行動範囲が狭いと感じているわけだ。狭い広いは相対的な概念であるから『親の行動範囲』と『わしの行動範囲』を比べた時に『親の行動範囲』>『わしの行動範囲』という図式が成り立っている。
どういう時に暇だと感じるだろうか。『何もすることがない』『したいことができない』『出涸らしまで搾り尽くしてこれ以上何も出てこない』そんな時に暇を感じるだろう
この二つを見るに、『わしの行動範囲』は小さく部屋から出ないものである。『わしの行動範囲(自分の部屋)』では『何もすることがない』だろうと思っていると考えられる。何故そう思ったのか。おそらく、親自身が部屋で引きこもった場合に暇だと思うからなのだろう。しかしながらワシは暇なんて思ったことがない。本を読むネットサーフィンをする寝る。無茶苦茶充実しているやんけ。
引きこもって『暇と感じる』か『暇と感じない』かが引きこもりの適性があるかどうかの分かれ道になってくるのではないだろうか。
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