引用:Yahoo!知恵袋, https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12324310657
内容を整理してみよう
疑問に至る道筋として
・人は同じものを見比べているつもりだが、同じものではない
・比較に際し、どの条件が違うかが知覚できない
・フライドチキンと魚の話で具体例を提示
・勝ち負けを決める際に同じものを比べるのでないとそもそも勝負になっていない
質問者の疑問
・何かを比べる時、人は何と何を比べているのか
・条件の違いにどれだけ無自覚でいられるのか
『比較する』という行為が世の中に横行しているが、比較される項目が違うのに比較されるのはどうしてなのか。どうして比較項目が違うのか。どうして比較項目が違うのに比較できるのか。どれだけ人は『比較項目が違うのに比較』していることに気がつかないのか。これらについて考えていく
フライドチキンの例を考えると、彼氏の言う味と彼女の言う味は同じものであるのか。彼女の母親のフライドチキンを食べる前の『味』は『純粋な舌で感じる味』だったのかもしれない。しかし、食べた後は『純粋な舌で感じる味』以外の要素が『味』にあると気づいた。フライドチキンを食べる前の味を『前味』食べた後の味を『後味』とする。そうすると『前味』<『後味』であった。前味と後味は違うものではあるが、『味』という概念で括られるものである。つまりは、違う概念でありながら同じ概念でもある。そこで、『味』で勝負した彼は『前味』と『後味』を比較して負けを認めたのではないだろうか。『味』の追加要素を発見した。これは比較対象の比較項目が拡大されている
魚の例を考える。常連客の魚を『劣魚』、プロの魚を『優魚』とする。常連客は『劣魚』『優魚』関係なくそれを『魚』だと思っている。しかしながら寿司屋はそれを『劣魚』だと思っている。常連客は『魚』を料理に使ってほしいが、寿司屋は『劣魚』を料理に使いたくないと思っている。『料理に使う(使いたい)魚』かどうかという点でなんの矛盾もズレもない。問題は寿司屋が『魚』を『優魚』『劣魚』どっちにどう判断するかである。寿司屋が主導権を握ってるわけだから寿司屋の言葉に関わらず気分で決定されている。その気分を決定するのが『プロが捕まえた後にロクな魚は残っていない』である。これは比較対象はわかっているが比較項目がわかっていない。『プロが捕まえた後』と『プロが捕まえた後』を比較すると、何を持って『ロクな魚は残っていない』と言っているかがわからない。この場合は相手しかわかっていないだろう。
この二つを見るに、比較対象は固定値だが、比較項目が変数である。(数学では、わかっていない場合は代数のように変数xを置くように、わからない場合も変数と言える)
『何かを比べる時、人は何と何を比べているのか』については『比較対象を比べる時、変数である比較項目を比べる』といえよう。変数xに0が入るように、ある人にとっては比較項目でない場合もある。質問者のいう『ズレ』とは変数(比較項目)のズレであると言える。それが比較項目足りえないからなのか、比較項目である事を認識してないのかはわからない。超金持ちからすると金額は項目たり得ないように、経験や感情などで人それぞれ違う変数(比較項目)から比較対象を評価している。
『条件の違いにどれだけ無自覚でいられるのか』について考えると、知らないものは比較項目となり得ないし知っているものはなんでも比較項目たり得る。比較項目が多すぎるといちいち比較していられないくらい複雑になるので経験に頼るり簡単に処理するし、比較項目がないと別の何かで比較しようとして経験に頼り補完しようとするし、経験に頼れる間はおそらく無自覚だろう。逆にいうと経験に頼れなかったその時人は初めて比較項目(条件)の違いを自覚することができるのではないだろうか。

コメント