自傷行為とは自分を傷つける行為のことである。どのような行為が自傷行為なのか。なぜ自傷行為をするに至るのだろうか。自傷行為の結果その人はどうなるのだろうか。どのようにすれば自傷行為をやめるようになるのだろうか。それについて考えていく。本記事では『どのような行為が自傷行為なのか』と『なぜ自傷行為をするに至るのだろうか』について書き、別の記事に『自傷行為の結果その人はどうなるのだろうか』『どのようにすれば自傷行為をやめるようになるのだろうか』について書くこととする。なお、自傷行為自体には否定も肯定もしない。これを見たものが生きていくことに関しては全肯定しておく。
どのような行為が自傷行為なのか
自傷行為と聞くと一番に思いつくのはリストカットだが、他の自傷行為はなんであろうか。他にも酒やタバコの乱用、依存、オーバードーズなどが自傷行為とされ、珍しいところで言うとタトゥーなんかも自傷行為だと言われている。字の意味から言うと、自分を傷つける行為全てが自傷行為に入るだろう。たとえば、爪のささくれを引き抜いて血が出てきたとあったらそれは自傷行為だろう。自然と取れるのを待たずにカサブタを引っぺがすこともまた自傷行為だろう。とすれば、かゆい場所を引っ掻くのも自傷行為なのか。
一般に自傷行為と言われているものと、そうでないものの区別はなんであろうか
なぜ自傷行為をするに至るのだろうか
感情が暴走した人間の、強制再起動ボタン
喜怒哀楽、人間の感情はあると思うが、『喜』と『楽』は人間の歓迎するところである。しかしながら、『怒』『哀』は人間の忌むべきものである。例を挙げて考えよう。『毎月お金をくれている人』には歓迎するところであり今後もお金を貰い続けたい所存である。逆に『毎月お金を巻き上げてくる人』は忌むべき存在である。この『毎月お金を巻き上げてくる人』をコントロールできなくなった時、借金まみれになり、何も買えなくなり、何も食べられなくなり、自分というのを保てなくなる。そんな自分を守るためには『毎月お金を巻き上げてくる人』を亡すことである。自傷行為は、『痛い』『怖い』と言う感情で上書きし、感情の暴走の原因である『怒』『哀』(『毎月お金を巻き上げてくる人』)というコントロールできないものを一時的に滅ぼしているのである。
『怒』『哀』をコントロールできないとどのようなことが起きるであろうか。『怒』『哀』が小さい時は問題がない。問題となるのは『怒』『哀』が大きすぎる時。『怒』と『哀』を小さくしたいが、その方法が思いつかない。そこで、自傷行為で上書きか、感情を消すといという方法を取るに至る。さらに感情を消すと『喜』と『楽』もなくなってしまうため人生が楽しくなくなってしまう。感情がなくなり人生が楽しくなくなった人間は虚無感を覚えるようになるが、自傷行為によって『痛い』『怖い』という感情の一部を思い出すことにより感情がある事を思い出すことができる。
『怒』と『哀』が大きい状態、『喜怒哀楽』が死んでいる状態であれば自傷行為が功を奏すので、自傷行為が選択されるのではないだろうか。
上を見るに、人生楽しいこともあるよと『喜』と『楽』を大きくするような事を言っても効果がないのは『怒』と『哀』が小さくなったわけではないことが原因ではないだろうか。ただし、『喜』と『楽』がないと感情が死んでいるのでこれまた自傷行為に走るわけだ。『喜』と『楽』を大きくするような事を言っても効果はないが、言わないといけない。
自分の表現
自傷者は『怒』『哀』が大きいことは上で示したが、どうして大きくなったのだろうか。
- 弱音を吐く → 迷惑扱い
- 苦しいと言う → 否定・説教・比較
- 助けを求める → 軽視・無視
このように『怒』『哀』があったところにさらに別の『怒』『哀』がくっついて雪だるま式にだんだん大きくなっていったのではないだろうか。そしてその過程で言葉を尽くしても有効ではないと学習。つまり、「言葉は無力だ」と叩き込まれる。さらに『怒』『哀』が雪だるま式にだんだん大きくなって複雑になっていくことでもっと「言葉は無力だ」と感じるようになる。
そこで傷は便利な自己表現のツールになる
- 説明しなくても“伝わる”
- 否定されにくい
- 見れば一瞬で深刻さがわかる
自傷は、失敗し続けたコミュニケーションの成れの果て。会話が通じない世界で、最後に残った言語となる。タトゥーが自傷行為だとされているのは傷に変わる便利な自己表現のツールとなるからであろう。SNSでリストカットの画像を載せているのもこのような自己表現の一環だと考えることができる。
自罰
自傷をしている人の中には『自分が悪い』『自分が壊れている』『自分には存在する価値がない』と考えている人がいる。一見すると、これは自己肯定感の低さや性格の問題に見えるかもしれないが、ここで注目したいのが、本来の感情の矛先である。
本当の感情は自分ではなく、環境、他人、過去の出来事だったり「外側」に向いていることがほとんど。しかしながら、その怒りを外に向けることができなかったり、「外側」に向いていることに気がつかなかったりすることが多い。怒れば関係が壊れる。逆らえば見捨てられる。恨めば生きていけなくなる。そもそも相手が悪いと思えない。力関係や立場、過去の経験を踏まえたとき、その人にとって「外に怒りを出す」という選択肢は、選択したり得ないのだ。
では、感情をどう処理するのか。相手を罰する代わりに、自分を罰するのだ。自分なら殴っても、拒絶されない。自分なら傷つけても、見捨てられない。自分なら、関係が壊れる心配もない。自分のことは自分が一番知っているわけだから、自分の悪い点はすぐに見つけることができる。そうして自罰的になり、その一つとして自傷行為があるのだ。
自己肯定感の低さや性格の問題ではなく、感情と力関係を正確に読み取ったうえで、最も安全に攻撃できる対象を選んでいるに過ぎない。
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